LIFE is TIME.
あなたは、預金口座を持っています。 その口座に、午前零時になると毎日正確に24万円ずつ入金されます。 その日のうちに使わないと、深夜24時には、残金が全部ゼロになります。 そして、その一瞬後には、次の日の分の24万円が入金されます。
あなたなら、この預金をどう使いますか? きっと、毎日一生懸命に、有効に使うのではないかと思います。
最初は、刹那的な喜びのために無駄遣いするかもしれませんが、 次第に、未来につながるような賢い使い方を考えていくのではないでしょうか?
さて、時間とはこの預金口座のようなものです。 金持ちにも、貧乏な人にも、 若い人にも、お年寄りにも、 おんなの人にも、おとこの人にも、 すべての人に公平に、24時間、毎日正確に、贈られます。 もちろん時間は蓄えることができません。 さて、あなたはこの贈り物をどのように使うでしょうか?
もしや、ドブに捨てていないでしょうね?
この贈り物を80年間受け取り続けることが、 生きるということではないでしょうか? 『いのち』とは、『時間』と置き換えても良いかもしれません。
人生80年とすると、約3万日。 時間にすると70万時間。 これが長いのか短いのかわからないけど。
誰かの時間を1時間奪うということは、 70万分の1の殺人を犯したことと同じことだ。 1時間を無駄に過ごすと、 70万分の1の自殺をしたのと同じことだ。
そう、思いませんか?
そして、僕たちはこの70万時間の『いのち』の半分くらいを、 働いている。この意味を、よく考えるべきだと思う。
私たちの『いのち』とは、よく『働く』ものなのだ。
さて、伊那食品工業では、毎年、新入社員に100年カレンダーを使って、人生の儚さを説く。 今から100年間分のカレンダーが一枚の紙に印刷されたものだ。 その人が仮に20歳だとしても、120歳まで生きるつもりでない限り、その紙の中に自分の命日が含まれる。ましてや50歳くらいの人ならその紙の真ん中あたりが命日だ。
その新入社員たちは、その紙の中に、自分の『いのち』の終わりを見る。
一枚の紙の中で、自分の寿命に出会うことは、ある意味、衝撃的な出来事だ。 残された時間は、先輩社員たちより幾分かは多いかも知れない。 でも、有限だ。そして、人生なんてわりと短い。そんなことに気づく。 そして、その後どういうふうに時間の使い方を変えていくのか? それが、会社員としての成長、人間としての成長の大きな格差になる。
マルティン・ハイデガーは、こう言っている(超意訳です)。
人は自分に死を、遠い将来のこととして、忘れ去り、生きている。 しかし何かの理由で、死に直面したとき、今までの自分の人生の空しさに愕然とする。 死は、多くの人にとって、自分の人生(いのち)を映し出す鏡のような役割をする。 そして多くの人は、そこで真の自分に出会い、真の自分の価値に気づき、それ以降の人生の一瞬一瞬を、充実した真の人生として輝やかせ始める。
死の淵から一旦生還した、スティーブ・ジョブズが、2005年にスタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチを聴いてみるがいい。
『他人のいのちを生きるのではなく、自分のいのちを生きなさい』
と、言っている。
しかし、死に直面する機会など、大きな病気でもしない限り、なかなか訪れない。 そこで、100年カレンダーは、緩やかに、穏便に、それに気づかせようとしてくれる。 出来るだけ若い時点で、それに気付くチャンスを与えようとしている。 これはまだ若くて元気な世代への、とても素晴らしいプレゼントだと思う。
※11分12秒あたりです。
さて、いくつかの名言です。
人は、いつか必ず死ぬということを思い知らなければ、 生きているということを実感することもできない
-マルティン・ハイデガー-
今日が人生最後の日だったら、今日やろうとしていることをやりたいか? -スティーブ・ジョブズ-
永遠に生きるかのように学べ。明日死ぬかのように生きろ。 -マハトマ・ガンジー-
『死』は『生』の対極として存在するのではなく、その一部として存在する。 -村上春樹(ノルウェイの森)-
人生って、『いのち』という部屋の中で、生きているようなものです。 その部屋では、『死』という扉が、見え隠れしている。 それに、気付いて、向き合って生きるか。 そこから、目をそむけて、生きるか。 その扉をくぐるまでの、残されている時間は、割と、短い。
時 アノネ 時は金なり なんていうけれどね 時はいのちだよ 『いま』という この時は 自分の一生の中の 1しゅんだからね みつを