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とうとうオカルトに走ったか?見えないものを科学するとは?

働き方の未来のコラムにスピリチュアルなことを書くのもどうかと思ったが、かのフリップ・コトラー教授もマーケティング3.0にて、スピチュアルマーケティングってことでお書になっていますので、少々そっちの話を…。

エベン・アレグザンダーさんという脳神経外科医がいます。 ハーバード・メディカル・スクールにて15年間准教授を務め、25年間の医師としてのキャリアを人物です。バリバリの科学者です。

そのエベン医師が、大腸菌の汚染により、大脳皮質が完全に機能を停止した状態になった。そしてその状態で、とてもリアルな臨死体験をし、その記憶も鮮明に残していたのである。

唯物論的科学者のスタンスでは、臨死体験は、脳が死への防御機能として、脳内麻薬を使って幸せな幻覚を見せている、と考える。しかしながら、このエベン医師の場合は、完全に脳の機能が停止している状態でそれが起こっており、しかも自分の脳の状態を科学的に理解できる脳専門の科学者自身の頭の中で起こったのだ。学術的に、脳機能は停止していた。

さて、ここでとても重大な事実が確認できる。 唯物論者たちの考えでは、『意識』は脳機能が生み出したものとされている。 ところが、このエベン医師の実例では、脳機能が完全に停止しても、『意識』が存在していたということだ。つまり、『意識』は脳細胞の外にある。あるいは、外にも存在できる。と、いう事だ。

『肉体』の外に『意識』が存在する。 ということは、肉体の死は、意識の死ではないかもしれないということになる。 これは、物資世界と重なり合って、精神世界が存在しているということだ。 多分その世界は、意識が肉体を脱すると、リアルに接することが出来るんだと思う。

私は、脳科学者でも脳外科医でもないので、これ以上詳しいことを書く力量を持たないが、脳科学者としてのエベン医師は、死から生還した後に、科学者のスタンスで、自分の物質的な脳の状態と自分の意識としての体験(記憶がある)を、科学的に論証している。

おいおい、北野よ、オカルトに走ったか、と言わないでください。 実はこれ、科学です。見えないものを、科学しているんです。

DNAで有名な村上和雄先生と東大・救命医療の矢作直樹先生の共著に こんなことが書かれています。

医者は、数多く、人の生死に立ち会う職業です。 その中で、さまざまな常識を逸脱した出来事を経験するようです。 しかしながら、ほとんどの医者は、それを、 気のせい、勘違い、幻視・幻聴、脳障害、として処理します。 村上先生は、この『良識ある医者たち』の姿勢に対して、 科学者のスタンスでは無いとします。 解らないことが有るなら、精査し、実験し、科学するのが、 科学者の務めであると、諭します。

矢作先生は、ターミナルケアの専門家で、膨大な人の死に立ち会ってきました。 その多くの場合で、人は亡くなる直前に、フッと、顔がほころぶのだそうです。 一見すると、微笑んでいるように見えるのですが、 よく見ると、ちょっと驚いたような表情になるのだそうです。 それは、恐怖で驚いている表情ではなく、「えっ!」と、いう感じのようです。 死の向こう側に、何が有るのでしょうか?

とても興味深いお話です。

アインシュタイン博士が、こんなことを言っているようです。 『宗教抜きの科学は、足が不自由なのと同じで、  科学抜きの宗教は、目が不自由なのと同じ』 なるほど、上手いことを言いますね。

人間とは、『からだ』と『こころ』と『たましい』で出来ているようです。 科学では、 『からだ』に関してはずいぶん分かってきました。 『こころ』に関しても少しずつ分かりはじめています。 しかし、 『たましい』に関しては、ほとんど手つかずです。

それを、真面目に科学する時代が始まっています。 見えないものを科学する。 いままで見えなかったものが、少しずつ見えるようになっていき、 その時、かつてスピリチュアルと呼ばれていたものと、どう対峙するか。 それが、これからの時代を生きる人たちに、とても重要な課題になってくる。 そんな気がします。

思考は現実化する。引き寄せの法則。U理論。シンクロニシティ。阿頼耶識。言霊。 源泉。集合的無意識。右脳。潜在意識。フロー。etc。etc。 ドンドン、解明されていく。 そんな気がします。

「宿題」 目をつぶっていると 神様が見えた

うす目をあいたら 神様は見えなくなった

はっきりと目をあいて 神様は見えるか見えないか

それが宿題

谷川俊太郎

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