人脈ってなんだろうか?
思い立って、起業本を20冊位読んでみました。
これだけ読むと、なにが重要か浮かび上がってくる気がしますね。
知識やスキル的なものや、裏ワザ的なものは、色々有るけど、それはさておき、
起業にとって、大事なもののベスト3は、『勇気』と『準備』と『人脈』のような気がします。この中でも、もっとも重要で、一朝一夕には得がたいものが『人脈』ですね。
わが師匠、高野登さんはこう言います。
人生、あみだくじ。
横線は人脈。追加された横線によって、思いもよらぬ場所に運ばれるのが人生。
そして、高橋茂人師匠も、こう言います。
最後に残るのは、人脈。
会社の看板を外しても成り立つ人間関係、残るのはそれだけ。
さて、人脈とは、何なのでしょうか?
私は、ご縁、だと思います。
そして、ご縁というには、
決して偶然ではなく、必然なんだと思います。
森信三さんの最も重要な言葉のひとつにこんなのがあります。
人は出逢うべき人とは必ず出逢う。
しかも一瞬早からず、一瞬遅からず。
しかし、内に求める心がなければ、
眼前にその人ありといえども縁は生じず。
ジャスト・イン・タイムはなにもトヨタ生産方式だけのものではありません。
人と人との縁(えにし)もジャスト・イン・タイムで起こります。
ただし、それを受け入れる心根があれば、ということです。
チャンスは、貯金できない。
人との出会いは、最高のチャンスかもしれません。
しかしその時の一瞬、一期一会を逃してしまうと、
そのめぐり合わせは、もう二度とこないかもしれません、今生では。
袖振り合うも多生の縁。
坂村真民さんが、好んで使われていた言葉にこんなのがあります。
聞法因縁五百生(もんぽういんねんごひゃくしょう)
同席対面五百生(どうせきたいめんごひゃくしょう)
これは、お釈迦様の言葉で、
今生で、一瞬でめぐり逢えた人どうしは、
過去世で五百回の時をともに過ごしている。
今回、初めて出会ったとしても、
それは深い縁(えにし)の末のめぐり逢いです。
決して、ただの偶然ではないですよ。
と、いう考え方です。
もしかしたら、その出会いは、あなたの 人生あみだくじの横線として顕われた めぐり合わせかもしれません。
そしてそれは、深い縁(えにし)によって、
仕込まれていたものかもしれません。
さてもう一つ、仏教ことばを紹介します。
これは、安岡正篤さんがよく紹介されていました。
縁尋機妙(えんじんきみょう)
多逢聖因(たほうしょういん)
これは、良い縁が連鎖し、さらに良い縁を結んでいく様をいいます。
良い出会いは、良い結果を生む。
良き人。
良き師。
良き師友。
良き書物。
良き場所。
妙(たえ)なるものがあります。
そして、人生は、目には見えない、妙なるご縁でつながれています。
それに、気づきさえすれば…。
だから、一期一会の心根が大切なんだと思います。
『0.00000000000000006%』
これは、いったい何の確率でしょうか?
これは、
日本に住んでいる人同士で誰かと誰かが出会う確率のようです。
宝くじに当たる、どころではないですね。
人との出会いって、なんでもない事として過ごしているけど
一人ひとりが「奇跡」のような確率でめぐり逢っているんです。
また、こんな考え方もできます。
この地球が、あと少し、太陽に近かったら、灼熱の地獄です。
この地球が、あと少し、太陽に遠かったら、極寒の地獄です。
奇跡的なバランスで成り立っている、奇跡の星、地球。
その地球で、五十億年かけて生まれた、大脳を持つ、この奇跡の生命体、人間。
そしてさらに、何兆、何京もの遺伝子の組み合わせの中から生まれた、自分。
それだけでも既に、気が遠くなるような奇跡なのに、
出会いは、さらにそれらを掛け合わせたものです。
人間本位の小さな考えで、判断(損得)してはいけないのかもしれません。 ぼくたちは、すでに、奇跡の先端に立っているのかもしれません。
人生には二通りの 生き方しかない
ひとつは 奇跡など何も起こらないと思って 生きること
もうひとつは あらゆるものが奇跡だと思って 生きること
by アインシュタイン博士
人と人が出会うということの意味を、
もう一度、しっかりと考えてみるべきなのかもしれないですね。
ひとつ一つの出会いを、一期一会の心根で捉え、偶然から必然へ、ご縁へと格上げすることが、とても大切なんだと思います。そして、人脈とはあくまでも、ご縁の連鎖の結果なんですね。名刺がなくても成り立つ、人と人との関係です。
僕が一生の間に会える
ひと握りの人の中に
あなたがいました
by(サントリー「ローヤル」CM)
そのときの出会いが 人生を根底から変えることがある よき出逢いを
by 相田みつを
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